百合文芸5自作覚え書き

 

百合文芸5の締切に間に合いましたか? 私はふたつ投げました。投稿した方、かかってこいや。投稿できなかった方、来年はチャンピオン席から観戦させてもらうぜ。

というわけで、百合文芸に投稿したふたつの短編の備忘録を書きます。ネタバレ全開のかなり赤裸々な書き散らしになっております。ネタバレを見てから読むか読んでからネタバレ見るか、それは君の自由だ。

 

文中リンクはAmazon青空文庫かpixivかWikipediaに飛ぶようになってます。

 

第一弾 「酢豚をパイナップルに入れる」

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着想

「ゆきあってしあさって」という本があります。

高山羽根子、酉島伝法、倉田タカシの3人による、書簡集という体を取った架空の地域への旅行記です。刊行まで10年くらい待ってから読んだのに「待った甲斐があったなぁ」と思うくらいいい本なのでみんな読みましょう。

で、ゆきあってしあさっての倉田タカシパートに「ほふりの村」という巨大生物解体祭りの話があり、これを読んでる時に思いついたのが酢豚である。

最初に浮かんだアイデアはみっつ。

・巨大な果物の中に丸のままの肉を入れてタンパク質分解酵素で柔らかくする調理方法。

・生きた人間が巨大な果物に入って即身仏的な存在になり、祭りで供されてありがたいありがたいと言いながら食べてるシーン。

・「酢豚をパイナップルに入れる」というタイトル。

これが浮かんだのが去年初春。ピンクの象を考えない という短編を投稿して2~3ヶ月後のころ。

(ピンクの象は読んだ人からの反響がめちゃくちゃ良かったフックの強い短編。死に戻り老女中学生のサイコ百合)

(なにそれ)

(超面白いから気になる人は読んで)

(一次落ちしたのまだ信じられない)

その頃はまだ百合文芸4の締切までひと月くらいあったので、旅行先で仲良くなった女の子が即身仏になって食べちゃう話を書けるかもな、書いちゃおうか。と思い立った。

書き始めて気づいた問題点

ミノタウロスの皿じゃん。

・百合文芸にカニバリズムみたいな悪趣味なテーマを投稿するの、食傷気味じゃない?

・死体埋めを投稿したばっかだしさぁ。

心の中から湧いてくるこれらのツッコミを回避する方法を思い付かず、ひとまずお蔵入りになることに。

その後も

・女の子を食べる日から始めて、女の子と出会う日で終わるよう逆順で書くのはどうか。カニバリズムシーンを後から「え、アレってひょっとしてそうだったの?」と思わせることができて直截的なグロ描写を回避できるのでは。

とか

・食べる役の語り手には自分が食べてるのが人肉だと最後まで気付かせないようにしようか。

とか色々考えてみたが、なかなかしっくりくるアイデアが出てこなかった。

そうこうしてるうちに百合文芸4の締切は過ぎ、あっという間に百合文芸5に投稿するならそろそろ書かないとなーっていう時期になってくる。とはいえその間に書いた短編もある。そのうち一つはまだ発表できないけど、相互の百合オタクと

「百合アンソロ作るけど参加します?」

「する!」

「テーマこれですけど書けます?」

「書ける!」

みたいなやりとりの末書き上げた短編なので、それはまた別の機会に告知します。楽しみにしておいてください。

再挑戦

百合文芸用に温めていたネタは何個かあったけど、その中ではこれが一番書き上げやすそうだったので「えいやあ」で冒頭を一から書いてみた。で、手が勝手に動いてできた文がこれ

>男もすなる旅行記といふものを、女もしてみむとてするなり。

 

紀貫之 土佐日記のパロディである。この話の語り手は御影福良というのだが、この子は過去作 人をやるのが一回目 からの流用で、いつか再登場させて大人の姿を書きたいなぁとずっと機会を伺っていたキャラです。土佐日記みたいなちょっとした教養を、ひけらかすわけでもなく自然に発露するようなイヤミのない頭良さげキャラって感じのイヤミな存在なのだ。この「いつか大人になった姿を書きたい」という考えは実はネーミングの瞬間からあり、そもそもが「御影福良→ふくら みかげ→膨らみかけ」という地口から出来た名前なので、中学生の時はまだ膨らんでないからずんぐりしてて、大人になると乳がでかくなっている。今後男と結婚するのかどうかは知らないが、するんだったら三隅って苗字の人とするんじゃないだろうか。膨らみ済み。

話がそれたので戻します。

土佐日記の冒頭パロディが手から勝手に出力されたことで頭に浮かんだことがあって、それが「土佐日記って信頼できない語り手ものでは?」というもの。読んだことないけど。男なのに女というていで書くのはただの嘘つきじゃねえかという見方もあるけど、それを信頼できない語り手と言い換えることも可能じゃん、という。文学史的な文脈なんて知らねえ。

で、この発想から連鎖的に信頼できない語り手+旅行記といえばジーン・ウルフ「アメリカの七夜」じゃん、という発想が出てきた。SFマガジン 2021年 04 月号に載っていた若島正の詳細な解説を読んだということもあってそういう発想に至ったのだけど、酢豚ってこの方向に舵切れば諸問題が全部解決してしまうのでは? エウレカ! という感じになった。あ、アメリカの七夜がどんな話かは各自読むか調べるかしてください。

解決

というわけで、以下の問題はいい感じに解決されたと俺の中では処理された。実際に解決できたかどうかは君の目で確かみてみろ。

ミノタウロスの皿にしかならん→信頼できない語り手にすることで表層はいくらでも偽装できるので気になるほど似ない!

・百合文芸にカニバリズム投稿するのどうなの→信頼できない語り手なら直接食人シーンを書かないので言い訳が立つ!

・死体埋めからカニバリズムってどうなの→表層をほのぼの旅行記にすれば不穏さが払拭出来て似たのが続く感じにはならん!

こうして懸念が無くなったことであとは比較的順調に書き進めることができ、完成に至ったのだった。俺が書く小説はこういう風に一文目が問題解決の糸口になることがままあって、しっくりくる一文目が書けたらあとは最初に思い描いていたビジョンを取りこぼさないよう気を付けて次の一行目次の一行目と順番に書いていけば出来上がるみたいなのが多いんですが、皆さんはどうですか? 書いてますか?

実際にどう書いたか

信頼できない語り手で書くと決めたことで、書いてあることと実際に起きたことに乖離がないとダメになった。じゃあ何が起きてどれを隠そうとしてるのかを決めとかないと。ということで「このポイントは断定した描写をしない」と決めたのが以下三点。

・出てきた料理が人肉であること。

・調理前に五体満足だった女の子が調理後は片腕になっていること。

・舞台が日本であること。

はっきり覚えてないが、確かこの辺で調理される女の子が死なないバージョンに変化した(最初は即身仏の予定だったのに)。理由はいくつかあるが、一番大きかったのは姉妹編構想がこの辺で持ち上がってきたこと。百合文芸用に温めていた残りのネタに酢豚のキャラを流用できるのではないかと、信頼できない語り手にすると決めたらへんで気付いてしまったのだ。

信頼できない語り手はめちゃくちゃ色々な問題を解決してくれる。信頼できない語り手なんかに解決されてしまうような問題をいくつも抱えているのって異常では?(そうかも)

で、どのような問題があって何で解決したかを簡単に言うと、温めていたネタの方は日本が舞台の幼馴染みもので、酢豚原案が異国舞台だったのでどう考えても接続できないのだが、信頼できない語り手にして酢豚を「異国風に記述された日本」が舞台の短編に変えることができたので幼馴染キャラをそのままスライドさせることが可能になったのだ。万歳。

話が逸れた。よく逸れる。

信頼できない記述をするにしてもちゃんと読んでくれる読者にはちゃんと伝わらないとダメなので、何が起きてるかはあんまり隠すつもりなく書いた。というか、かなりあからさまに書いた。読んだ人全員に絶対人肉じゃんと思ってもらいたかった。伝わってましたか? 伝わってたらそれだけでこの作品は成功です。逆にあんまり気付かれないでといいかと思ってたのが舞台が日本であることで、これはおまけというか隠し要素というか姉妹編の方に接続出来ればそれでいいっていう狙いしかなかったので、そっちを読んで初めて気付いてもらえる程度でいいかくらいに考えていた。実際酢豚だけを読んでこれに気付いた人どれくらいなんでしょうね。全然取材してないふわふわ異国描写としか思ってもらえないような気もするし実はバレバレだった気もする。

というわけで百合

あくまで百合文芸に投稿する短編なので、女女のクソデカ感情を書かなければならない(が、これもほとんど直接書けてない)。ただカニバリズムものなので、自分の体を食べさせるという行為を読者に読み取らせることができたらあとは勝手にクソデカ感情を補完してくれるだろうという信頼(丸投げ)はあった。

主軸はトリン→福良の「私を食べて」という感情で、さらにそこにリピコのヤキモチと福良の「なんかよく分からんけど懐いてくる少女かわいい」という感情が添え物としてある。「私を食べて」がメインなので信頼できない語り手煙幕でカニバリズムがカモフラージュされてるとメインの感情も直接書くわけにはいかなくて「これいいのか?」という葛藤があったりなかったり。いや、なかったな。今までも百合文芸でそんなに感情をストレートに書いてなかったのでそれでいいやと勘違いしてる節がある。直したほうがいいかもしれない。 本文から引用すると

>初めて好きな人と一体になった時の快感を味わっているような、恍惚とした表情

>一心同体の無二の関係

ここら辺が「食べられることであなたの一部になれることが嬉しい」の描写。今読むとあっさりしすぎてる気もする。まぁいいや。

あとなんだろうな。なんか書くことあったかな。まぁ思い出せないからいいや。次。

第二弾 「うらみっこつらみっこ」

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着想

この短編のアイデアはかなりシンプルで、ちょっと前に出てきた「親ガチャ」という概念を聞いた時、ソシャゲのガチャ演出のような「ノックの音がする」→「光りながら扉が開く」→「SSRお父さんかNお父さんが出てくる」というイメージが思いついてしまったので、それを書こうとしたもの。そのシーンから逆算してもろもろが決まった話で、さらにラストシーンにリドルストーリー的な味付けもして結果を明記しないのが良いかもなぁ的な考えで作り始めた。リドルストーリーっていうのは「女か虎か」って話が有名なんだけど、簡単に言うと「読者が想定しうる二つの結末のうち、どちらになるか確定する直前で終わりを迎える話」って性格の悪いジャンルのことです。とりあえずWikipediaを読みましょう。うらみっこつらみっこはリドルストーリー的な味付けをしています。的な、ね。

この話がどんな話か要約すると、一時保護所で再会した幼馴染が迎えを待ちながら生活し、片方の性格最悪の父親が迎えにきたらイヤだよね、もう片方の父親が来てくれたほうがいいよね、どっちが来るかな、ってところで終わる話です。

リドルストーリー的な話なのでリドルストーリーではなく、結末は確定してるんだけど、まぁこれも伝わっても伝わらなくてもいいかの精神で書いた。こう書いてて今思ったど、その精神で書くのかなり独りよがりでは? ですね。独りよがりで書いてます。文句あるか。

この記事はネタバレ全開なので書いてしまうけど、作者の想定している結末は「幼馴染の二人は異母姉妹なので父親は同じであり、ふたりとも性格最悪の父親に引き取られちゃうけど、離ればなれにならずに済むからよかったね」エンドである。以下本文からそれを読み取れる描写を引用。

>幼少期から二年前まで共に過ごしてまるで双子みたいに見られていた。

双子ではなく異母姉妹

>機嫌良さそうな親父が帰ってきてドアドンって蹴ってピコが中からすぐ開けてあげないとドドンドンって蹴り追加してきてまじウゼェ

>リズムに乗って四回ノックしたらそれはお母さんじゃなくてお父さんが入ってくる合図

>コンココンコンとノックの音がして私たちが返事をする前にドアが開いて「父さんだよ」って声がしてこの話は終わり

父親のノックのリズムが同じ→同一人物であることの示唆

今こうやって抜き出してみると、ここから姉妹であることを読み取れっていうのはかなり無理ゲーな気がしてきたな。まぁいいや、実は作者的にはこの短編の真の価値はそこにはないのだ。 それに作者の想定以外の解釈を読者がしても全然いいしな。作者と違う解釈のほうが面白いんならそっちを正解にします。誤読なんてねえぜ。

真の価値

この短編も先の酢豚と同じで、しっくりくる冒頭の一文を書いたらあとはそれに続く文章を書いていくだけってやり方で書いた話で、その冒頭というのがこれ。

>「片手で大変だろうけど」と言われるまでもなく大変なのは大変なのであってそんなことはあなたに言われるまでもなく私が一番よく分かっているんですよ。

一文が長い。

読点がない。

でもなんか書いてて気持ちいいし、それに読み直しても気持ちいい。リズムがあってすんなり読める。自分で書いた文章だけど、俺この文章好きだわ。もっと読みたい。

というわけでこの「気持ちいい」を大事にしてその快感が壊れないようにだけ気をつけて書き進めて出来上がったのがこの話である。

その結果セリフではないモノローグ部分にはほぼ読点がなく(あったら多分癖で打ったのを取り忘れてる)語順や単語や接続詞の選択基準も快感優先という変な文章が出来上がった。オナニーかよという執筆体験だった。気持ちよかった。

終わり方は最初から決まっていたし、登場人物も酢豚の流用なのでそこそこ固まっていたのだが、自分が書いたこの冒頭に引っ張られて自分で作ったキャラ表がほぼ意味をなさないくらい最初の想定とずれていくことになる。でもそこはそれ。ほら、無理やり書き上げたらなんか知らんが、なんとかなってる。なってるよね。なってないって? なってんだよこれで。怒るぞ。

話としては「ふたりが再会する」「あらためて仲良くなる」「親が迎えにくる」のみっつしか要点がないので、百合にするには「あらためて仲良くなる」のところをちゃんと書かないといけない。

ちゃんと書けない

いや、自分が読んで面白いと思うようには書けてるよ。書けてるけどそれが「幼馴染にイタズラした(してない)女に水ぶっかける話」と「ちんこデカすぎ男に挿入されてめちゃくちゃ笑った話」をしあうというものになるの、なんなんだ。もっとなんかこう……他になかったのか。ないな。ないわ。俺の中にはこれ以外ない。それ以外空っぽ。

俺はこういう、気の置けない間柄の同性とバカ話をして心の底から笑うようなのがいっちゃん好きなんだ。次点で好きなのはどうしようもない状況に追い込まれて自棄になってる女たち。 ちゃんとは書けてない気がするがここでちゃんと書けてたら俺の小説じゃないって気がするな。そういうことにしておこう。

いやー、やっぱいいわ俺の文章

そんなこんながあったりなかったりして「親が迎えに来る」というラストシーンに向かうわけだけど、みんな読んだ? ここめっちゃ良くない? 自画自賛だけど。ラストシーンに繋がる場面転換の文章として満点だと思う。読み返すたび俺は自分に惚れ直してたよ、ここ。

>全然くだらない話で私も笑う。二人で笑い転げる。転げてるピコの服をまくってお腹を出させて腹筋の全然ない柔らかなお腹の真ん中にあるおへそに「これかぁ」って思いながら舐めたり舌を出し入れしたりする。ピコの笑いが止まらなくて私もめちゃくちゃ愉快でこんな日が永遠に続けばいいのになと思うけどここは一時保護の場所で一時でしかなくて永遠なんて来なくてすぐに終わる。迎えがくる。

まじでいい。溜め息でる。芸術的な緩急。永遠じゃねえ、無限だよ。

おわりに

というわけで、こんな感じで俺は百合文芸を書いています。こうやってまとめて思ったけど、賞レースに参加してるという意識が希薄すぎる。どれだけ好き勝手できるかの賞だったらいいとこ狙えそうな気もする。どうなんでしょうね。pixivさん「好き勝手やったで賞」も作ってくれませんか?  あと俺は自分のことが好きすぎませんか? こういう記事書いてる時点で明白ですけど。

あ、そうだ各短編冒頭につけた引用なんですが、今回は酢豚がジーン・ウルフの「アメリカの七夜」(短編集デス博士の島その他の物語所収)で、うらみっこが津原やすみ「五月日記」から。全然関係ないんですが、百合小説コレクションwizに「魔術師の恋その他の物語」というデス博士オマージュのタイトルで短編を寄せてる南木義隆先生は故津原泰水先生の愛弟子で、なんと俺の百合の同士でもあるんですね。いやー奇遇ですね。そんな偶然もあるんだなーって。本当に全然関係ないんですが。全然関係ないんだけど百合小説コレクションwizは佳品揃いのいい短編集なのでみんな読もうね。

そんな関係のない話をしてこの記事は終わりです。尻切れトンボですね。そんなもんです。人生だってそうでしょう?(なんでも人生に例えればいいと思ってるやつ)